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あまいぱんブログ

社会人未経験で28歳までフラフラしてた男が正社員サラリーマンに擬態するまで

ブラック企業出身、三十路ブロガーのじゃてぃらん(@jathilan666)のプロフィールです。

じゃてぃらん
こんにちは。じゃてぃらんです。 ものっっすごく長くなってしまいましたが、自分の人生を振り返って一生懸命ガッツリ書きましたので、ご興味もっていただけたところだけでもご覧いただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

じゃてぃらんって何者?

名前:じゃてぃらん

本業:WEBマーケティング系IT企業のサラリーマン

副業:色々…

1984年生まれ。現在34歳で東京在住。

20代後半まで「今が楽しければいい」という考えでごくつぶしのような生活を送っていました。

とある事情(※後述)より一念発起し正社員のサラリーマンになろうとするも、その年齢までプラプラしていた人間への社会の風当たりはもちろん厳しく,,,

結果、約3年間ほど超絶ドブラックな会社2社で人生を消耗し、プライベートも何もかも失いました。

三十路を超えた辺りからようやくまともな会社にひっかかるだけの経験とスキルが身に付き、ようやくこの辺で人生に光が,,,

じゃてぃらん
おかげさまで現在は、比較的良心的な会社でサラリーマン人生を送っています。

じゃてぃらんってどういう意味?

ジャティラン(jathilan)とは、ジャワ島の伝統舞踊のことです。

両陣に分かれた踊り子(主に男性)たちが、舞踏を繰り広げながら一対一の戦いをし、負けた踊り子は場面からはけ、最後の一人になるまで続けるというもの。

三十路を過ぎて行った初海外で、初日泊まったジャワ島の宿泊施設の裏で朝までこれをやってるの見て、まぁものすごい衝撃を受けました。

というのも、ジャティランには観光客向けにデコレーションされたライトなバージョンもあって、現地ド定番の観光場所のプランバナン寺院の広場などでも催されているんだけど、オレが最初に見たのは、観光客向け要素ゼロのガチでジモティー向けのもの。

宿泊施設のおじさんとの会話が、

「ねぇ、なんかあっちの方で鳴ってる音、あれなんなの?」

「あれはお祭りだよ。今日は(むにゃむにゃなんとか)だから、お祭りやってるんだ。」

「お祭り!ちょっと行ってみたいんだけど!」

「あ、あぁ。いいけど、観光客向けじゃないよ?ほんとに行く?」

※オレのつたない英語だったからもしかしたらニュアンスが違うのかも

という感じでワクワクしていたんだけど、ラッキー(?)なことにその広場には観光客がほぼオレしかいない状況でした。ジモティーで埋め尽くされたその場所では、踊りによるマジのトランスでちょっとドラッギーにおかしな感じになってる人たちが山ほど見れたんです。

なんせ、昔はトランス入った踊り子が電球食ったり、ココナッツを歯で皮むいて割って食ったりしてたらしいので(子供がマネするから禁止になったそうです)、まぁトランスの力ってすごいのねと思った感じです。

爆音でガムランが鳴り響く熱狂の中、やられた方が本当に死んだと思ったみたいな逼迫した表情で痙攣をおこしブルブル震えたり、興奮しすぎて踊りがバグっていって、周囲の大人2~3人に止められても制止を振り切って続行したり。あと、なんか金たらいに入った野菜みたいなのをものすごい勢いで食べ始めたり。

まぁそんなことを延々と朝まで爆音でやっていたので、すごい衝撃を受けました。

一言でいうと「意味が分からなかったけどなんかすごかった」です。

説明が長くなりましたが、初海外で見た上記の衝撃的な光景が忘れられず、ブログネームにさせていただこうと思ったのです。

ポップにひらがな表記で「じゃてぃらん」とさせていただきました。

生い立ちと経歴

じゃてぃらん
自分の人生を振り返ってみれば、「自分が世の中で生きにくいと思う理由」が見つかるのではと思い、真剣にダイジェストで考えてみました。

産まれてから小学生卒業まで

記憶の中にあるのは、「常に何かを心配している」感情。

例えば、「お腹が空いたらどうしよう」

「足の指がかゆくなったらどうしよう」

「トイレに行きたくなったらどうしよう」とかです。めちゃチャイチーな心配ですが、当時はこれらがいてもたってもいられないくらいの悩みだったのです。

この類の悩みが常にいくつか頭の中で渦巻いていて、気になって気になって仕方なくなり、結果ほとんどの授業で先生の話を聞いていないという状況が結構テンプレートでした。

当然全く勉強についていけなくなり、でも親が怖いからテストで悪い点は取れないので、小学生高学年くらいになると周りの友達を数百円の現金で買収し、数人のテストをカンニングして平均点を稼ぐ。ということをしていました。

ところが、興味があった国語や社会はぶっつけ本番で平均点より上をはじき出していたわけで、これってなんらかの発達障害とかなんじゃないのでしょうか。 (ちなみにローマ字は中学二年生の終わりころに覚えました)

かなり印象的だったのは、小学三年生くらいのとき、学校帰りに突然普通の歩き方が分からなくなって前に進めなくなり(足の動かし方がバグった感じ)、もじもじしていたら急にもよおし、ただっぴろい田んぼが広がる田舎道で盛大にうんこを漏らしてしまいました

じゃてぃらん
あの時の、パンツの中にうんこが広がっていく不快感と、世界が終ってしまったような誰も助けてくれない絶望感は今でも覚えています。

中学~高校生時代

中学生になるとますます周りの勉強についていけなくなりました。

とくに理数系の科目に至っては、何を話しているのか全く理解ができず、「もう大人になっても普通の仕事はきっとできないから、スポーツを頑張ろう」とズレた決心をし、テニス部に入りました。

周りが新しいラケット(プラッチックとかカーボンとかの軽いやつ)を買ってもらって練習に勤しむ中、オレはなぜか、どこからもってきたのか覚えていないけど木製の重たい年代物ラケットで練習してました。

「ちょっとおかしい奴を眺める視線」というものを、この頃から感じ始める。

クソ重いラケットの甲斐あってか、中一夏休みくらいまでは部内でもトップクラスの実力に育ったんですが、「マジックザギャザリング」というカードゲームの流行により部活に全く行かなくなったため、結果、中二の春に新入生の年下にぼろ負けするようになる。

テニス、やる気をなくす。

同時にこの頃、ミュージックステーションでロケットダイブを歌うhideを見たことで音楽に興味を示しました。

毎日hideとXJAPANを聴きまくり、「高校生になったらギターをやろう」という夢だけを心の支えに、漫画を読んでゲームばかりして過ごす現実逃避の毎日に突入。

友達があまりいなかったので、「AKIRA」「今日から俺は!」「ワールドイズマイン」「座敷女」「ドラゴンヘッド」「お父さんは心配性」「こいつら100%伝説」「かまいたちの夜」「街」「天誅」「風のリグレット」「私立ジャスティス学園」「バイオハザード」「爆裂スーパーファンタジー」などのコンテンツが心の友でした。

初恋の女の子に告白したのもこの頃なんですが、「気持ち悪いからやめてください」と言われ激しく落ち込みトラウマになりました。

まぁこんな調子なんで学力とか絶望的で、控えめに言って結構カスでした

が、どういう奇跡なのか受験の結果、中の上から上の下クラスの高校普通科に「上位五本指」の成績で入学することに。

我ながら本当に意味が分からないんですが、実際努力もした実感はあったので当時はずいぶん喜びました。

高校一年生で念願のギター(hideモデル)を購入。ここから生涯に根を下ろす長いギター人生が始まりました。

初めての彼女、バイト、バンド活動と、暗黒だった中学時代からは考えられないほど明るく充実した毎日を過ごせた高校時代。

16~18歳の頃の記憶では、今では二度と会えない奴や死んでしまった奴との青春の記憶など悩みや思うことも非常にたくさんあったはずなんですが、ダイジェストでは伝えきれないためどこかで別途ご説明します。

普通の地方都市田舎町の高校生にありがちな、だけどオレにしか経験できない青春を過ごした三年間でした。

大学生活

じゃてぃらん
18年間過ごした地元田舎町を離れ、東京の八王子のさらに西の外れで大学生活が始まります。

厳しかった両親の監視の目から逃れられた反動で、巻きが多いチョロキューがいっぱい走る原理で、色々なことが飛躍&加速する毎日を過ごす。

生来の真面目過ぎる性格が嫌で、「散々無理してバカになった」ところ、取り返しがつかないバカになってしまう。

日本古典文学とフランス文学、ギターに傾倒し、もったいないことに大学の授業は二の次三の次という「典型的アホ大学生」でした。

19歳の頃、当時一番憧れていたかっこいい大人の象徴だった作家の中島らも氏が死去。

この頃から自律神経のチューニングがおかしくなり、不安定な毎日の中で読書とギターをやり続けもっと不安定になっていく。

町田康、村八分、Theピーズ、ジミヘン、ジョニーサンダースなどを聴き、ギターパートをコピーする大学生活中盤。

自分で小説を書き、色々な出版社に投稿しはじめたのもこの頃でした。今振り返っても人生でベスト3に入る努力と行動で、のちに自著出版となる作品を執筆したのもこの期間。まぁ、出版本は売れ行きの問題で絶版となってしまったのですが…

中島らも風にいうなれば、この頃ずいぶんたくさん面白いことや楽しいことを経験したはずなんですが、将来への不安とそこからの現実逃避のせいであまり覚えていることが少ないです。逆に、つらかったことや苦い想い出はすぐに思い出せて、これはきっと自分が二十代の青春と未だ決別しきれていないことも関係しているのかもしれないと思ってます。

かっこよく言うならば、「音楽と文学に全てをかけたが何一つ結果を残せなかった4年間」ということになるんでしょうか。

それを自覚しないまま、なし崩し的にオレの毎日は「社会人編」に突入していきました。

二十代前半

じゃてぃらん
アルバイト探しの感覚で行っていた就活は、もちろん大失敗に終わります。

「髪の毛を切りたくないから」「スーツとか無理です」という理由で、長髪のままやる気なく色々なところを受けたところ、高校受験のときと同様またも奇跡的に、某大手眼鏡屋(なんでここ受けたのか思い出せない)と、某R系下請けの広告代理店の2社に内定が決まりました。新卒ブランドの効力たるや、ですね。

が、学生気分が抜けていないどころか「働きたくないです」と思っていたため、内定が出た2社に泥酔した勢いで深夜に断りのメールを送る始末。

この頃、バンドサークルの卒業生追い出しライブのあとの二次会か三次会で、河川敷でスーツ一式をスピリタスで燃やすパフォーマンスをする。その場の一瞬は実に盛り上がったものの、たとえようのないむなしさと焦燥感しか残らなかった記憶があります。

とはいえお金を稼がないと暮らしていけないので、本屋でアルバイトしながら色々なことをしつつ生計を立ててました。

約一年ほどふわふわした生活を続けるも、この頃一番親交があった友人が自殺未遂をし地元に強制送還されてしまいまして,,,

その一部始終のリアルタイム尻ぬぐいからほとほと現状に嫌気が差してしまい、18歳で上京してから過ごした八王子を出て知り合いが誰もいない吉祥寺に住居を変えました。

しばらくの間吉祥寺で、詳細を語ると叱られてしまうようなごくつぶしな生活を送りました。

ふとしたきっかけから人生の師となる「Kさん」という個人事業主の方と出会い、24歳で古物商業界へ。

Kさんは、元総合格闘家の当時三十代半ば。建築業を興し公共事業で財を成すも、リーマンショックのあおりを受け業界を撤退。当時まだニッチな業界だった古物業界に目をつけ、事務所兼店舗をかまえたところでオレを拾ってくれたのでした。

今までの怠け者生活から一転し、週6ないし休日月1とかのペースでKさんの元で働かせてもらう。働くことの楽しさを知ったのがこのときで、数か月で個人事業主の右腕として仕事を任され、当時右肩上がりだった業界で実に好調な毎日を過ごしました。

Kさんは「サラリーマン」という言葉を嫌い「商売人」という言葉を使っており、出した結果には青天井で報酬を還元してくれました。自分の時間はほとんど取れなかったのですが、人生で一番羽振りが良い時期となりました。

また、Kさんには仕事のことだけでなく、生きていくうえで必要なモノの考え方や振る舞い方、金の稼ぎ方など、非常に多くのことを教えてもらいました。

じゃてぃらん
※この時期の面白い話はおそろしくたくさんあるので、いずれ別記事でご紹介します

吉祥寺の夜の街を、Kさんのカバン持ちとして飲み歩いたのは、今となっては本当に良い想い出です。今思えば、尊敬していた中島らもの宮前社長との関係と自分を重ねてとらえていたように思いますが。

ですが、必死に働いているうちに、昔絶対だったことや好きだったことからも少しづつ確実に離れていきました。本を読まなくなり、映画を観なくなり、ギターに触ることもどんどん減っていき、自分が本当に好きなコトモノヒトが分からなくなっていきました。

二十代後半

じゃてぃらん
Kさんの元で働いているうちに、気が付けば27歳を過ぎ、28歳がすぐそこまで来ました。

背伸びなしに三十路が見えてきたことから、本当に自分がやりたかったことってなんだっけ?オレはなにがやりたいんだろう?生きていくとは?ということをひたすら考えるようになる。

プライベートでは、当時付き合っていた、いつか結婚したいと思っていた5歳年下の彼女がバリバリの社畜根性の人で、タイムカード切ってから終電までサービス残業とか、こっそり休日出勤とかしちゃうタイプでした。

商売人のオレと社畜彼女、当たり前の結果、徐々に価値観が合わなくなってくる。 音楽性の違いによる解散を回避しようと、話し合いの場を提案するも平行線。という状況が続きます。

公私ともに悶々とした気持ちを抱え、28歳になっても何も結果を残せずかつ生き延びてしまったことから「オレはただの凡人だ」という認識が確固たるものに(ロックやってると27歳で死ぬという都市伝説があるのです)。

28歳の誕生日の夜に彼女にお祝いしてもらいつつ、

「サラリーマンの正社員になって人生をやり直そう、正社員という肩書で彼女の価値観の方に寄り添っていこう

と決意しました。 で、なりふり構わない必死の転職活動を行い、正社員での就職が決まる。

人生の師であるKさんを裏切る形となるも「お前の人生なんだ。がんばれよ」と男前すぎる言葉をいただき、約4年の古物商業界時代は終わりを告げました。この時点でまともな社会人経験はほぼなかったため、今まで目を背けてきた現実と向き合ってしばらくは必死にゼロから頑張ろうと決意も新たにする。

「ま、2~3年死なないで頑張ればちょっとはイイ思いも出来るだろう」

と、甘く思っていたんですが、そううまいことトントンとはいかず,,,この後約3年間で、

ブラック企業①

「昭和臭ぷんぷんでバブルの価値観を引きずる老害が現場を支配する、全てが非効率極まりない精神論体育会系中小出版社

と、

ブラック企業②

「大学のサークル作る感覚で会社作ったドサイコパスな社長がガチガチの親族経営でまわすメディア運営ベンチャー企業

の2社を経ることとなりました。

このときの経験は、良くも悪くも本当に人生の肥やしになりました。モラハラが横行する人外魔境のような旧組織然とした環境、絵にかいたようなドサイコパスの社長が支配するブラックベンチャー。今まで人生のまともなレールをサボってきたオレが急ピッチで巻き返すに十分すぎる濃縮された死んだ毎日で消耗することができました。

「ブラック企業との戦い方」「ブラック企業に負けないモチベーションの保ち方」を学ぶことができ、労働基準監督署など公的機関の動かし方や弁護士とタッグを組んで組織に喧嘩を売る経験もできました(勝ちました)。

この辺の実体験を、同じようにブラック企業で消耗しているすべての人に共有し、ほんの少しでもオレと同じ経験をしている方の気持ちが前に進むお手伝いができればというのがこのブログを作ろうと思った大きなキッカケの一つです。

そして三十路へ…

じゃてぃらん
ブラック企業2社の濃縮された約3年間で人生を犠牲にしたおかげで、スキルと経験がそれなりに積めました。

で、TVCMばんばん打ってる某大手直受けの総合広告代理店への転職に成功。ようやく人生がちょっとホワイトな方に向かいます。

28歳までまともに人生を考えてきていなかった男が、約3年必死に頑張って、まともなレールを走ってきている同年代のヤツらと同程度の職場環境で正社員として潜伏することに成功したわけです。

この経験から、オレは「人生は努力すれば2~3年で逆境を覆すことは可能である」ということを多くの人に伝えたいと思ってます。

けど失ったものは大きかったです。何より、前出のKさんの元で働いていた頃の自分への自信や万能感などは、数年のブラック企業勤務でのモラルハラスメントや狂った人間関係、長時間労働サービス残業サービス休日出勤などで粉々にされました

そうやって、個人の自信を奪い思考停止状態に陥れるのがブラック企業の十八番で常套手段だということも身に染みて感じることができたわけです。

その期間で負った心の傷は、現在に至るまでまだ元には戻せてないです。例えば、Kさんと働いていた頃は「立て板に水」だったトークスキルが崩壊し、どもりが出てうまく人と話せなくなりました。これは徐々に良くはなってきているものの、34歳の今でも元に戻ってないです。

じゃてぃらん
また、28歳のときに結婚したいと思い自分の人生を軌道修正する大きなキッカケとなった彼女ともお別れしました。

ブラック企業で消耗しながら人生の巻き返しを必死に頑張っているオレの姿を見た彼女は、自身のストレートに来た正社員の価値観からか「もうあなたを前のように尊敬することはできなくなった」と一方的に告げて他の人のところに行ってしまったわけです。

オレはアンタとの未来を考えてKさんを裏切り「商売人」を捨て「正社員」を目指し頑張ってきたのだが…色々と都度都度相談だってきちんとしてきたはずなのだが…

という思いから絶望感がこみあげてきたものの、一人になった以上自分で自分のゴキゲンを取り機嫌よく生きていかないといけないし、日常と日々の仕事はなくならない。

結論、「生きていかなくちゃいけない」と思い、感情を排除して目の前のto doを消化していく死んだ毎日をしばらく送りました。 様々な知人友人のおかげで、今では「死んだ毎日」から立ち直り、こうしてブログをはじめられるまでになりました。自分の周囲や日常に感謝ですね。

じゃてぃらんの趣味

じゃてぃらん
オレの趣味について書かせていただこうと思います。

映画鑑賞

アクション、ホラーを筆頭に、映画が大好きです。

前出の感情が死んだ毎日を送っていた頃は、金曜の夜に近所のツタヤで10本とかレンタルして、お酒を飲みながらマラソンのように映画を観て週末を過ごしていました。

アーノルド・シュワルツェネッガーシルベスター・スタローンブルースウィルスメルギブソンジェイソン・ステイサム、などがオレのアイドルです。

じゃてぃらん
大体これでどんな趣味かお分かりいただけたかと思います。

一番好きな映画は、20代まではヴィンセントギャロ「バッファロー66」でしたが、30代のあるときからジェームス・マカヴォイ「フィルス」になりました。

 

エドワード・ファーロングナターシャ・リオンの二人が青春です。

音楽活動

14歳でhideを知りギターに憧れ、15歳でギターを始めて約20年です。

それからずっと生活の半径2~3メートル以内にギターがある毎日を過ごし、良くも悪くも非常に自分の人生が変わった趣味になりました。

色々なバンド経験を経て、イイ想いも嫌な想いも実に多く経験しましたが、今では気心の知れたメンバーにも恵まれ子供の頃から自分がやりたかった趣向のバンドをじっくりやれています。

2018年には、アルバムレコーディングをやって、ギターを持ったときからやりたかったことを全て詰めることができた10曲入りのアルバムを作ることにも成功いたしました。

じゃてぃらん
控えめにいって、今現在バンド人生は本当に幸せです。

ブログ(モノ書き)

文章を書くのが大好きです。

20代後半よりしばらくは遠ざかってしまっていましたが、今こうして再び自分の日常にブログという形で文章を発信できることにすごく嬉しい気持ちを持っています。

じゃてぃらんにとって文章とは、初期衝動であり、アイデンティティであり、自分を自分として認識できる手段であり、何かを他者に伝える大切な手段であり、重要なものだと思っています。文章を愛しています。

じゃてぃらん
この記事の前でも言いましたが、過去に小説を一冊出版しているのですが、、、全く売れなくて現在では絶版のため、またの機会にお話ししますね。

ちなみにこちらの本です。10代後半から20代にかけての全てを注ぎ込んだのですが、、、売れなかった、、、(´;ω;`)

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ありがとうございました

じゃてぃらん
ものすごい長文になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。 これからも「あまいぱんブログ」とじゃてぃらんをよろしくお願いいたします。

投稿日:2018年10月5日 更新日:

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